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東北大学加齢医学研究所 心臓病電子医学分野
東北大学大学院医工学研究科人工臓器医工学講座/ 医学系研究科内科学専攻心臓病電子医学
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「人間=機械」と言う考え方と治療

 メガネをかけている人がいます。

 メガネはある意味では、水晶体のゆがみを補正する人工臓器の一種です。

 すなわち、補助人工心臓と同じように、障害された内臓機能の一部を補う人工臓器と定義できるわけです。

 『身体髪膚、これを父母に受く。敢えて毀傷せざるは、孝の始めなり。・・・』

 ある意味では、メガネをかけている方は、親からせっかくもらった、大事な、大事な身体を、五体満足で維持できなかったと言う意味では、ある種、親不孝者と言われるかもしれません。

 私もその一人です。

 しかしまあ、加齢と共に内臓機能が障害されていくのは、自然現象の一つでもありますので、仕方がないことです。 s1.jpg

 加齢により衰えた内臓機能を補い、補完し、あるいは置換し、臓器機能に障害を持つ患者さんを社会復帰させ、どんどんもっと活躍していただこうと言うのが「人工臓器医工学」の考え方です。

 ですから、頭の先から、つま先まで、ありとあらゆる臓器機能の障害に対応できる、あらゆる種類の人工臓器が開発され、研究され、臨床に供され、あるいは商品化までされています。

 最近では、臓器機能の障害された患者さんに対し、障害された機能を元のレベルまで回復させるだけではなく、元のレベルを超える「スーパー人工内臓」の夢までも語られ始め、人工臓器の医工学は、現実に、追いつき、さらに追い越そうとしています。

 残念ながら昨年亡くなられましたがベイラー医科大学の能勢教授は、いつも「ボストンマラソンで人工心臓患者が優勝する日が必ず来る!」と、おっしゃられました。人工心臓患者には、原理的には心肺機能の限界がなく、どんなに走っても人工心臓の拍出がついて行くので、理論的には不可能ではない訳です。

 東北大学には、第2次大戦前からの医学+工学の共同研究の伝統があり、様々な人工臓器・医工学の開発研究が進められてきました。お互いに秘密・垣根のない共同研究開発体制としては世界一と言っても良いかも知れません。

 補助人工心臓の臨床では日本で最初に成功し、遠心ポンプ型補助人工心臓の動物実験では世界最長生存記録を保持しています。完全置換型の人工心臓としても、小型軽量化が可能な無拍動人工心臓の開発は、私達の他には、世界的に見ても五指に満たない施設で行われているだけです。

 最近では食道がんの患者さんのための人工食道・食道ステントや、大腸がんの患者さんのための人工括約筋、人工の眼、内耳などの開発研究も進んでいます。これだけ幅広い人工内臓の研究が進んでいるのは、間違いなく世界で東北大学だけです。

s2.jpg  全ての内臓の人工臓器開発というお話では、必ず、人間の「脳」の代替性の、問題が出てきますが、現在、東北大学では、脳とのインターアクションを念頭に置いた開発研究が進められており、視覚聴覚などで脳神経にアクセスするほか、「てんかん」のような病気に対しては、ダイレクトな脳機能制御が動物実験で成功し初めています。

 これは、人工内臓で、脳神経の一部をコントロールできうることを意味している訳です。

 つまり、脳とインターネットを相互にインターアクションできる世界の燭光が見えています。

 脳も含めて頭の先から足の先まで、人体のすべての内臓、パーツは、たとえ不可逆的に破壊されたとしても、すべて人工臓器で治療できる未来がもうすぐ来るのかもしれません。


 さて、ここで、これから、はるか?未来に発生する?問題です。

 加齢とともに障害を持つ内臓が増えて行くのは自然現象で、私も眼の他にも歯も悪いし、物忘れも多くなってきました。いずれ、心臓にも障害が起こるかもしれませんし、がんになるかもしれません。現在の人工臓器医工学がこのまま進歩すれば、それぞれの障害に対して、内臓の機能を補う、あるいは代替する人工内臓の開発が進んでくることは十分可能になります。記憶力が悪くなった僕のために、インターネットアクセス可能なブレイン/マシンインターフェースは今の技術でも不可能な訳ではありません。

 記憶力を司る脳神経機能の代わりに、ネットで検索できる機能が介在し、無限の記憶力が発生すれば、中枢の思考方向も変動して行くかもしれません。つまり、人間の内臓の機能を一つ一つ代替して行けば、現在の人工臓器発達の趨勢を考えれば、脳の一部(全部?)まで、全て取り替える方法も不可能な訳ではないことになる理論になることになります。

 では、私の内臓と機能を全部取り替えた後の私は、私でしょうか? 

 ある意味では、めがねをかけただけで、既に私は昔の私ではありません。人工心臓を埋め込んでも、人工食道を埋め込んでも、私は私のまま自意識をもち続けることでしょう。ちょっとくらい記憶力を補ってもらっても、私は私ですと意識を維持すると思います。では、更に中枢の機能をどんどん機械化して、最終的に私の意識までもネット空間に移動してしまったら、私は私のままなのでしょうか? 私は私と言う意識を持ち続けるかもしれませんが、そこには、漸進的に変化しただけ、と、言う意識しかないまま、全てが進む可能性がある訳です。すなわち人体は、本人さえ気がつかないまま???全て機械化することも???、原理的には不可能ではないという理論さえもが構成し得ることになります。

 さて、じゃあ、全部機械化された後の私にも、人命の尊厳は存在するんでしょうか? 意識は、私のままなのに、尊厳は存在しないんでしょうか? また、尊厳が存在するとすれば、私に尊厳はあるのに、ロボットには尊厳はないんでしょうか? 全部機械なのは同じなのに?

 眼鏡をかけているあなた。と、内臓を置換して健康になった患者さんの間には、単なる程度問題だけで、大きな違いはありません。そして、その意味では、脳まで含めて全て臓器を取りかえた後の私にも、違いはないと言うことになり得ます。

 人類は、病気を治そうと考えだした瞬間から、一歩一歩機械化の方向へ進み始めたのかもしれません。

 誤解しないで聴いていただきたいのですが、もちろん、患者さんを治療することはとても良いことです。この世に数少ない「絶対の善」の一つと私は考えます。ですから逆に、この道の先を考えておく必要があると思う訳です。

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Last modified:2012/08/03 17:35:53
Keyword(s):[人間は機械である] [生命の尊厳は何処に由来するか?] [人間とは何か?]
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