IT = 医用生体工学

インフォメーションテクノロジーのメディカルフィールドへの新展開


 ITを医学用語に訳せば、医用生体工学ということになる。

 インフォメーションテクノロジーは、情報技術等と直訳されているが、様々な情報を処理するテクノロジーの総称であり、コンピュータテクノロジーやインターネット技術、マルチメディアにおけるバーチャルリアリティのような信号処理等が代表的なものであるとされる。

 このような情報処理技術は、医用電子工学の研究分野の発足と同時に研究されてきたものでもある。古くはMEと言えば、心電図や脳波を思い浮かべる方々が多かったことからも分かるように、生体時系列情報の信号処理技術は医用生体工学における大きな柱であったし、現在もカオスやフラクタルなどの非線形力学理論の応用に代表されるように、ITそのもの、情報処理技術そのものが、ME研究の中心に座し続けている。

 より精度の高い生体情報を、より非侵襲に、という医学サイドからの要求が常に続けられることが自明である以上は、ITは今後も医用生体工学の重要な部分を担い続けることは間違いない。森首相の就任とともに突然マスコミを賑わすに至った観のあるITという単語を見て、「何を今更騒いでいるのだろう?」と、一週遅れのランナーを見るかのような感慨を抱いた医用生体工学領域の研究者は多い。

 IT関係の医用生体工学技術と言えば、バーチャルリアリティ関連の手術支援システムがまず話題になる。

 東京女子医大では以前から脳外科手術におけるバーチャルリアリティの応用を進めているほか、東北大学でも近年注目を浴びる心血管インターベンション手術の領域に置いて「バーチャルPTCA」のようなシステムの開発を進めている。このような、IT技術の応用によって手術成績が飛躍的に向上する可能性は大いに期待されているし、欧米でも積極的な開発が進められている。

 例えば1998年には、マスタースレーブマニュピュレータの開発によって、インテューティブサージカル社からコンピュータ制御ロボット遠隔手術装置「ダ・ビンチ」の臨床応用が欧米で開始されている。 このシステムでは,術者の動作に対するロボットの動きを51程度まで縮小することが可能であり,また術者の生理的振動がロボットでは消失するため,縫合・結紮などの微細な手術操作は,直視下に行なうよりはるかに容易になると報告されている。また1999年には医療用ロボット開発のコンピューター・モーション社が、外科手術ロボット「ゼウス」を使った内視鏡による冠動脈バイパス手術に世界で初めて成功したと発表したのは記憶に新しい。近年富に飛躍的に切開創が小さくなってきた外科学領域であるが、これまでには、例えミニマリーインベーシブサージェリーと言えども、心臓の手術では、30センチから40センチの胸部切開が必要とされたが、最近のロボットサージェリーでは鉛筆の太さ程度のいくつかの切開を行うことで開心手術が可能となる。患者の負担を大幅に軽減し、早期に回復させられるというこのシステムは、コンピュータ制御で細かく正確に動かせる3本のマジックハンドを持ち、患部の状況を2D3Dで画面表示させ、動きを確認しながら手術ができるようになっている。

 競争があるのは欧米の医学界の活力源になっているのかも知れないが、2000年に「ダ・ビンチ」システムが、米食品医薬品局(FDA)が認可されると、ライバルの医療用ロボット会社、コンピューター・モーション社から特許権を侵害しているとして訴えられている。このシステムは113名の患者で試験され、その成果を通常の手術を受けた132名の患者と比較したところロボットシステムが通常と同じだけの安全性と効果を生むことが証明されたとFDAは判断した。ロボットシステムを使った手術のほうが4050分長く時間がかかったが、それはこの新技術に対する医師の経験不足のせいもあるとFDAは認識している。対してコンピューター・モーション社は、ロボット手術システム8種の特許を持っているので、インテューティブ社が「ダ・ビンチ」等で特許を侵害していると主張し、特許権侵害訴訟を起こした。特許権を扱う弁護士筋からはインテューティブ社がコンピューター・モーション社にライセンス料を支払うか、ダ・ビンチを作り直すかしなければならないかもしれないと言う談話も出されている。欧米では莫大な市場を形成する医療業界は当然特許権その他の戦場となり得る運命にあり、権利関係や特許の裁判がこの分野の発展の妨げにならないことを切に祈ってやまないものである。日本でも現在は東北大学を初め多くの施設に置いてこれらのロボットシステムの臨床応用が始まる段階であり、今年度の外科学総会では多くの手術ロボットシステムが一堂に介して「サージカル・シアター」での展示が予定されている。

 医用生体工学における外科学分野への応用と言えば、いの一番に上げられるのが人工臓器の開発だが、ミレニアムの終わりになって人工心臓の分野における時代を画するエポックメイキングとも言える飛躍的進歩が認められた。

 経皮エネルギー伝送システムを内蔵した完全埋め込み型拍動流補助人工心臓の臨床応用と、アキシャルフロー型無拍動補助人工心臓の臨床治験である。

 人工心臓は、心臓を切除して埋め込みを行う完全置換型全人工心臓と、心臓の働きの一部を補う補助人工心臓に分類されることはご存じの読者も多いと思われるが、現在のところ完全人工心臓は空気圧駆動型の人工心臓が欧米の一部でブリッジユースに用いられているだけである。エネルギーも含めた電磁駆動型の人工心臓は現在アメリカではペンシルバニア州立大学とテキサス心臓研究所の二カ所で臨床を目的にした開発研究が進められており、ペンシルバニア大学では臨床前研究に入ったと伝えられている。日本でも、東京大学や国立循環器病センターで開発が進められている完全置換型全人工心臓は斯界でも脚光を浴びている。東京大学で開発が進められる波動ポンプは、回転運動を拍動流に変換するユニークな機能を持つ全くのオリジナルな人工心臓で、駆動原理そのものが世界に類例を見ない点でも注目に値する。現在は数ヶ月オーダーの慢性動物実験に成功しており、今後更に耐久性その他を検討して臨床へのアプリケーションが望まれる。対して国立循環器病センターのシステムは、日本人も狭い胸に全てのシステムを埋め込むことは不可能であるという現実的な認識に基づいて、駆動装置を分離して腹に埋め込むというコンセプトを具現化した。現在までに周辺機器の洗練化も進めており、インテグレートしたシステムとしては高い完成度を誇っている。

 補助人工心臓としては、日本でも東北大学の振動流ポンプ、北海道大学のバルボポンプ、機械技術研究所の遠心ポンプやテルモの磁気浮上ポンプ等は有力であるが、今年ペンシルバニア大学から報告された「ライオンハート」は、電磁誘導を応用した経皮エネルギー伝送システムを初めて臨床応用した点で注目に値する。

 ペースメーカーとは異なって、電池ではとうていカバーできないような莫大なエネルギーを必要とする人工心臓は、原子力のような高効率のエネルギーを応用しない限りは外部からの電力の供給が不可欠である。現在まで臨床応用されてきた埋め込み型と名付けられた拍動型補助人工心臓であるノバコールやハートメイト等のシステムも、電力は電線から供給されており、真の意味での完全埋め込み型とは言えず、 QOL の観点からも最適とは言い難い点を残していた。20世紀も終わりになってついに臨床応用されたライオンハートは、従来と同様の拍動型補助人工心臓でありながら、電磁誘導を用いてエネルギーは体外から供給される。この点で、初めて完全埋め込み型の人工心臓が臨床に供給されたと言い得る。ペンシルバニア大学では完全埋め込み型の完全置換型全人工心臓の開発に数十年の歴史を保持しており、完全置換型人工心臓へも応用できる経皮エネルギー伝送システムが、まず埋め込み型拍動流補助人工心臓のためのシステムとして臨床応用されたというスタイルである。

 欧米で開発された人工心臓は一般的に言って日本人には大きすぎ重すぎると言う点が否めないが、拍動流を選択する限りポンピングチャンバー・プラス・駆動メカニズムとなるので小型軽量化には限界がある。そこで注目されるのが無拍動流人工心臓である。工学的にはモータの回転運動をそのまま拍出に変換するのが最適であり、かかる点からは遠心ポンプあるいは軸流ポンプが小型化には理想的である。この場合、無拍動、すなわち、脈のない人工心臓と言うことになるが、補助人工心臓では自身の心臓の拍動があるのでこの点の問題は少ないと考えられる。

 今年の国際ロータリーポンプ学会で注目を集めたのは、三つの軸流ポンプの臨床治験の開始である。ジャービック2000、マイクロメド・ドベイキーポンプ、そして、ハートメート2の三つの軸流ポンプは全て心尖部脱血、大動脈送血で臨床応用され、心臓移植へのブリッジユースや重症心不全からのリカバリを目的に欧米で既に数十例の臨床が報告され、特に日本からの聴衆を驚愕させた。ジャービック2000もドベイキーポンプもその開発初期から日本からの留学生が深く研究に関わってきていたが、これだけ早い臨床応用の広がりは日本ではとうてい予測不可能であったと思われる。これらの軸流ポンプはいわば、船のスクリューを人工心臓として応用したような形態をとっており、心臓が単なる機械的ポンプで補助できるという点を極限まで押し進めたような形式である。補助心臓として用いられていることもあり、勿論、全く拍動はない。このような無拍動埋め込み式補助人工心臓は原理的に小型軽量化が可能であり、日本人のような体格の小さな東洋人への埋め込みには極めて有利である。新世紀を迎えようとする現在のエポックメイキングな出来事と思われる。

 現在日本でも無拍動の人工心臓はいくつかの施設で開発されており、テルモ社のシステムは動物実験の長期生存では世界最高記録を更新し、臨床応用が可能なレベルに達している。しかしながら日本で治験を行うに当たっては、政府による規制が余りにも厳しく、制度上の改革が必須である。空気圧駆動式補助人工心臓においても、日本ゼオン、東洋紡と、世界最高のレベルの補助人工心臓が開発されながら、保険診療の適応になるのに時間がかかりすぎ、更には保険を通った後も制約が厳しすぎて普及の大きな妨げになったのは記憶に新しい。保険が通らない医療は現在の日本の医療現場では「キリシタン禁止令」と全く変わらない現実的な禁止令であるとしか言いようがない。本邦で開発された優秀な空気圧補助人工心臓の市場が、日本の保険制度によって実質的につぶされたとしか言えない状況では、ほぼ現在でも世界最高レベルに達しているテルモの完全埋め込み型磁気浮上ポンプが、どのような臨床試験の経過を辿るのかは厳密に見守って行かなくてはならないものと思われる。日本で開発が進められた優秀な人工心臓が、欧米でしか使えないと言う状況では話にならない。筆者らは、国際人工臓器学会を預かる理事長の立場としても、現在の日本の状況には警鐘を鳴らしておきたい。

 末期的な心不全に対してはこれまでにも補助人工心臓等のようにポンプで循環を補助する治療の他に、バチスタ手術のように心筋を切除する術式も試みられてきた。2000年度に至って、ミオスプリントという新しい人工臓器を用いた全く新しい手術治療の方法論が考案されクリーブランドクリニックなどにおいて既に臨床に移され始めているので、今年度の臨床医学における新しい進歩として触れておきたい。バチスタ手術は左室心筋の一部を切除して左室の形態を変形させ心機能を改善させることを計る手術であるが、ミオスプリントを用いる方法論は、いわば「ネジ止めバチスタ?」とも呼ぶべき手術で、左室の中央部を中隔側に寄せるために、紐状のデバイスを用いてアンカリングする。これによって左室内の容量は約半分に減少したものが二カ所できる計算になり。バチスタのような心室形状の形成が行われると言うものである。バチスタ手術に比べれば圧倒的に手術手技が簡単であり、しかも二カ所で収縮することになるので、原理的には二倍近い効果の期待されうる点から今後臨床応用が広まっていくことも考えられる。2000年のトピックと言い得るかも知れない。

 人工臓器のような体のパーツを代用臓器として開発する立場もあれば、生体の全体の共同に注目して情報処理を追求する立場もあり得ることは指摘されて久しい。

 このようなアプローチは、戦後すぐにサイバネティクスの研究として開始され、システムにおける情報の流れを定量化して検討するためには、ジップの情報量理論やマンデルブロのフラクタル次元の理論等が注目され、最近ではカオス理論との関連性も取りざたされてきた。そもそも高等生物において認められるような精密かつ多様な機能の発現は、内部環境の恒常性(ホメオスターシス)に負うところ大きいことは自明の事実として知られてきており、心血管系を中心とする循環系もまた然りである。生体内の様々な系の中に置いても、心臓血管系は酸素の運搬や老廃物の排出など物質の移動を本質としているので、ダイナミクスな観点が特に重要となる。

 ここで有効になるのは従来の恒常性、ホメソスタシスのような静的な目標指数を保持する概念ではなく、もっとダイナミズムに着目したホメオカオス、ホメオダイナミクスの理論になってくることは明らかであるものと考えられる。例えば、心臓血管系のような循環システムにおける物質の移動は、細胞のレベルでは分子単位で、また、臓器や個体のレベルでは種々の生体シグナルを用いて多重に、更には階層的に制御されているので、循環系のようなダイナミックなシステムを理解するためには、分子生物学的から高次のレベルに至る整合性のとれたホメオダイナミクス解析が不可欠になってくるものと考えられる。

 このようなアプローチ法は、解析的なゲノムプロジェクトに対して統合性を主眼とするフィジオーム呼ばれ、注目されつつある。

 フィジオームとは、physiome  (physio=life or natu re, ome=as a whole entity)という語彙の要素から構成された造語であり、生体の機能を構成的に解析し理解しようとするものである。ミレニアムも終わりに向かう1997年にNIHに生体工学協会(BECON)が設立された背景には、医学や生物学と生体工学のとの境界が消滅しつつあるという認識がある。NIHでは、BECONを中心にゲノムのような細かい要素に分解するアプローチに対応するものとして、フィジオームプロジェクトに力を入れ、「ゲノムからフィジオーム」を大きな柱としていると伝えられる。フィジオームプロジェクトは、来るべき高齢化社会において、癌と並んで重要な医学的課題である循環器病の診断・治療・予防に大きく貢献することが期待され、社会的意義の上からもその重要性が認識されてきている。

 2000年度のトピックとしては、このような諸外国の研究支援状況を背景にして、日本学術会議医用生体工学研究連絡会が医用生体工学研究所設立準備委員会を設けて審議してきた報告書がまとめられ、対外報告として了承されたことは、日本におけるフィジオームのマイルストーンとなっていくものと考えられる。

 思えば、ニュートン力学の時代から、科学とは自然現象の本質を追求することであったが、様々な運動の中の物体の運動を取り上げ、その本質を、質量と換算して運動方程式に記述し、真理を追究する方法論は、質量の運動という1つの要素を解析するのに非常に有効であったことは論を待たない。しかしながら、生命現象を解析的に追求し、果ては遺伝子1つ1つの機能を解明したからと言って、それで生命現象が分かったことになるかというと余りにも批判も多いことは否めない。

 新しいミレニアムともなる新世紀を迎えるに当たって、医用生体工学に置いても解析的な研究から統合的な研究へと方向転換する時期に入っているのかも知れない。

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