産学協同山之内製薬委託研究事業

PDE阻害薬の強心作用とEmaxのカオス的ダイナミクス


 日常臨床の現場において治療方針の策定、予後の判定などを行うためにも心不全患者の心機能の把握が決定的に重要であることは論を待たない。そこでこれまでに様々なパラメータを用いた心機能診断法が研究されてきた。現在まで考案された様々な指標の中で、心機能を数値的に最も定量的に解析するためには、Emaxの推定法が最も確立された方法論であると報告されている(1,2)。しかしながら、Emaxの推定には左室容量の測定が不可欠であるので臨床応用を行うに当たって困難が伴う。そこでわれわれは電気回路シミュレーションの方法論を用いて左室の容量を計測することなしに大動脈の流量波形だけからEmaxを推定する方法論を開発してきた (3,4)。

 心不全治療における強心薬の位置づけは,血行動態の改善,安定化を目的とした心血管作動・減負荷薬であり、ガイドライン等では具体的にはカテコラミン製剤等があげられている。例えば塩酸ドパミンは腎動脈拡張作用により心拍出量だけでなく尿量も増加させるが,イノダイレーター(強心/血管拡張薬)も尿量増加が得られることは広く報告されている。心筋酸素需給バランスは,カテコラミン製剤のマイナス方向に対し,血管拡張作用に伴う減負荷が期待できるイノダイレーターでは良好で在ることが期待されるので、心筋虚血が絡んだ病態では有効であると思われる。

 カテコラミン製剤には、耐性、β受容体のダウンレギュレーションによる反応性低下、心筋酸素需給バランス悪化、不整脈の発生などの様々な問題がある上、鬱血の改善や減負荷効果があまりないことが報告されており、血管拡張作用を合わせ持つイノダイレーターを使用することが推奨されている。PDE阻害薬等のイノダイレーターは、血管拡張作用により鬱血の改善や心筋酸素需給バランス改善効果が期待されるので汎用されつつある (5,6)。しかしながらこのような強心剤の投与が、複雑系としての生体に対して如何なる作用をもたらすかは明らかではない (7-10)。

 本研究では代表的なPDE阻害薬であるミルリノンの強心作用について、山羊を用いた動物実験を行い、Emaxの測定を行うことによって、臨床的に有用な薬剤が複雑系としての生体に如何なる影響を与えるかについて検討を行った。特にパラメータ最適化法によってEmaxのリアルタイム変動を観測することによって時系列曲線の揺らぎを観察し、左室の収縮性を支配する力学系の推定を試みた。その結果、若干の知見を得たので報告する。

実験方法

 健康な山羊を用いて吸入麻酔下に動物実験を行い、左第4肋骨床で開胸して胸腔内にアプローチした。心尖部からコンダクタンスカテーテルを心室内に挿入し大動脈から逆行性にピッグテイルカテーテルを左心室内に挿入し、左心室の容量と圧を同時記録した。圧計測用カテーテルを大動脈内に留置し、電磁流量計を上行大動脈に装着し、心拍出量の計測を行った。経静脈的に中心静脈を確保し、種々の薬剤の投与を行った。

心機能推定法

 Emaxを用いて心機能を評価するためには左心室の容積の直接の計測と何らかの方法による心負荷の変動が不可欠になる。もしも一心拍内の情報のみでEmaxの推定ができれば、臨床上問題となる負荷の変動が必要でないばかりではなく、一心拍毎の連続的な心機能の変動がモニターできることになる。
 単一心拍内での推定法はいくつか提案されており、Senzakiらの方法論と吉沢の方法論が有用である。われわれは2つの方法を比較検討した結果、従来のTVカーブからEmaxを求める方法論と比較したところ、吉澤氏らの方法論の方がより有用な相関を呈していたので本研究では、吉沢のパラメータ最適化法を応用した (3,4)。
 収縮開始後の任意時間tにおける左心室圧の瞬時値をP(t), 瞬時容積をV(t)とした時の瞬時圧容積比(弾性;elastance)は、式1で記述される。


 (1)

 これを変形すると、式(2)が得られる。

(2)

 駆出期において、離散時間Bt毎に心室圧と容積が得られるとし、時間の原点t0=0 と、tkは、駆出開始時刻と、駆出終了時刻であるとする。ある一拍内でV0が一定であると仮定すると、(2)式の左辺は一定値になり、任意の異なる時間 tl, tmにおいて、(3)式が成り立つ。



(3)

 もし時間関数E(t)が、tのn次多項式で近似的に記述できれば、式(2)は、n+1 個の未知数からなる k+1C2個の連立方程式と言うことになる。従ってnがk+1C2より小さければ、P(t)とV(t)から未知関数E(t)を求めることが出来る。
 E(t)を近似する時間関数 のうち、最も簡単なものとして、傾きa>0 と、バイアスb>0で決まる時間の一次関数(線形関数)



(4)

が考えられるので式(3)に代入すると、

(5)

が、得られるので、式(5)の式誤差を定義する。

(6)

定義した式(6)の式誤差 の二乗平均が最小になるように近似関数 を求める。

実験結果

 実験の経過中、血行動態は安定し、良好な心電図と血行動態記録とコンダクタンスカテーテルによる左心室容量の計測が可能であった。得られた左室内圧容量曲線の一例を図1に示す。上行大動脈を遮断して後負荷を増減させてEmaxを得た。PVカーブの左肩から比較的容易にEmaxの推定が可能であった。更に強心作用を持つミルリノン投与によりEmaxの傾きが大きくなり、ミルリノンが心機能に与える薬理効果が確認された。

 

 連続的・実時間的で、左室容量計測が不必要なパラメータ最適化法にてEmaxを計測した時系列データを図2に提示する。図1での確認されているミルリノンの強心作用が、左室容量の計測なしで、左室圧と大動脈流量から推定可能であった。得られたEmaxの時系列曲線を観察すると、興味深いことにゆらぎの存在が観察されており、前負荷、後負荷に依存しないと報告されてきたEmaxにゆらぎが存在する可能性が示唆された。

 

 このゆらぎの持つ非線形特性を観測するべく、Takensの理論に則って位相平面へ埋め込みを行ってアトラクタを再構築し、非線形力学特性について観察した (11-18)。図3に高次元位相空間に埋め込んだEmaxの時系列曲線のストレンジアトラクタを提示する。アトラクタには初期値依存性と推測される特性が観察され、時系列曲線にカオス性が存在し、薬物の投与によって複雑性の増加を示唆する所見が観察された。


考察

 Emaxの時系列曲線には本来、前負荷と後負荷は影響しない心筋の収縮性・粘弾性を示唆するものと報告されてきた。本研究の結果からEmaxの時系列曲線にゆらぎが観察されることが判明した。最も信頼される心機能の定量的なパラメータであり、前負荷後負荷のような外乱に影響されないので重要な臨床の指標であると考えられてきたEmaxにゆらぎが存在するという観測は興味深いものと考えられる。

 薬物加療による効果を代表的な心不全治療薬剤であるPDE阻害薬のミルリノンを用いEmaxから検討したところ、静脈内投与によりEmaxは増大しているのが左室圧容量曲線から観測されたが、パラメータ最適化法により、左室容量を計測しなくてもリアルタイム観測が具現化した。更に高次元位相空間に再構築したアトラクタから、明らかな複雑化が観測され、非線形力学系が変化していることが示された。PDE阻害薬のような強心作用を持つ薬剤では循環動態において1つの力学系として非線形ダイナミクスに影響する。従って、非線形数学理論に則って力学パラメータをアトラクタから観察すれば当然力学系が変化している現象が観察されるものと考えられ、薬剤加療による力学系の変化がアトラクタの複雑化として観察されたものと考えられた。

 心拍変動だけでなく、血管・心収縮力をも含有した心臓血管系のダイナミクスにおける血行動態に、カオス的ダイナミクスが重要な役割を果たしているとすれば、一要素である収縮力の非線形力学系の変化は重要な知見であり、更なる検討を必要とする重要な課題と考えられる。更に種々の薬理学的効果をゆらぎの観点から非線形力学系の変化として定量化し、複雑系の視点からの検討を行って行きたい。

References
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