伊達四十八館ってご存知ですか??


奥州伊達藩62万石は、加賀薩摩に続く海内第3位の大藩であり、
(というのは、お国自慢の好きな仙台人が必ず話す枕詞ですが、、)
俗に
「裏高250万石!?!」とまで言われ、
一時は江戸の町民の食するコメの、実に半分近くが伊達米である?、
とまで称されたそうです。

幕末には、三万三千八百人の家臣陪臣を抱える巨大組織となり、、
その分小回りが効かずに、
維新に乗り遅れたとも言われていますが??・・・・・・

昨年は機会があって鹿児島を訪れましたが、薩摩では逆に、77万石にされたのは、関が原で賊軍だったために徳川から押し付けられた石高で、実際には山が多くて米なんぞ取れる土地柄じゃないのに、、なんと、精米前の玄米の量で石高を決められ、、多めに石高を見積もられて、その分の債務を増やされたと・・・
未だに関が原の恨みが残っていそうで、、
流石に日本を征服した薩摩・長州という勢いを感じたものです、、、


さて、戦国時代には、それこそ海内有数の軍事国家で在った筈の伊達藩、、
その首都である仙台のサテライト防衛機構が伊達四十八館であります。


地方知行制

伊達48館 

青葉城の秘密

要害所・在所

郡別石高


伊達四十八館

 仙台藩の四十八館と呼ばれる藩内の統治体制は、
中世的封建制度をそのまま制度化したもので、地方知行は、江戸幕府の小型版とも言える。

すなわち、江戸幕府は地方の三百余りといわれる大名を統括し、
仙台藩は、家来に知行地を与え、藩全体を統括する。

知行地においてはそれぞれの家臣は、その地方においては「殿様」として扱われるわけで、
事実、海内一の経済力を誇った伊達藩は、その藩内だけでも、一万石を越える大身の家臣を数多く抱えていた。

それらの有力家臣は、平時には、地方の殿様として政治を行って領民を慰撫しつつ、
一旦緩急あれば、それぞれの支城は、仙台城のサテライト防衛線として機能することはもちろんである。