加齢制御医工学

加齢現象は制御可能か?


 老化とは何か、加齢とは何か? 

 この問題に答えられれば、次世代において最も重要となる可能性が強い加齢の制御へ向けて最初の一歩を踏み出したことになると思われる。しかしながら、この問題は永遠の生命を求めた秦の始皇帝以来の、あるいはある意味で極言すれば人類発祥以来の問題であり、もちろん簡単には答は出ない。近年のアポトーシスのような現象の研究や、遺伝子工学の発達、さらには臨床医学的な研究の蓄積など、有望な知見が得られつつあるが、これらの現象を積算したところで、最終的な「加齢」という像が結実するわけではないことは自明と思われる。

 機械工学に於けるワイプル関数のパターンが、機械の故障と人間の生存曲線とをともにシミュレートできうると言う立場から、いわゆる「人間機械論」は、また脚光を浴びられているが、ここで言う機械とは勿論、鉄腕アトムのようにハードな機械で人間を作ろうという立場ではなく、柔らかい分子機械、分子システムを想定しているわけではあるが、それでも機械には代わりはない。その分子機械としての生体の故障が初期故障と摩耗故障の二つのピークに分けられることは、生存曲線との類似から明らかと考えられる。

では、分子機械である生体はいかなるパターンにて故障を来すのか?

これもまた、人間機械論としての加齢現象の制御に大きく役立つアプローチにはならないであろうか?

 さて、加齢現象のような生体の全体において進行する変化は、これまでの科学研究において主流であった要素分解論的な微視的還元論では解明できない可能性が考えられ、システム全体に視点を置いた全体論的な解析の方法論の適用が不可欠となってくるものと思われる。本研究では、非線形力学の方法論を駆使して加齢現象をシステム全体の動特性に注目して追求することを目的としている。ここで重要になるのはもちろん加齢現象を解析するための実験対象である。これまでにも様々なモデルを用いて老化や加齢の実験的研究が進められてきた。そこで本研究では、これまでに老化や加齢の実験には応用されたことのないユニークな実験対象の応用を試みた。

 すなわち人工心臓装着慢性実験動物である。

 完全置換型人工心臓を装着された動物においては、中心静脈圧の異常な上昇や血圧の異常な上昇、甲状腺ホルモンや心房性利尿ホルモン等の液性因子の異常等の種々の病態が観察されることが世界中の人工心臓実験施設から報告されている(1-7)。例えば中心静脈圧の上昇に対処するべく人工心臓からの拍出量を上昇させれば、高血圧を余計に悪化させることになり、対応に苦慮することになる。東京大学等ではこの現象を老化の加速として位置づけ、「人工心臓症候群」と言う病態概念を提唱している(1-3)。そこで、本研究では、循環動態における加齢現象が促進されているという観点から、人工心臓の動物を実験対象として選択した。

 本研究では、人工心臓の慢性動物実験を行い、自然心臓による循環と、人工心臓循環の循環動態の非線形ダイナミクスの比較検討を行った。また循環制御系について更に深く追求するために、交感神経活動電位の計測を行い、人工循環における中枢神経活動について考察を加えた。更に種々の制御方式について、加齢現象の進行と、制御アルゴリズムの検討により加齢現象を制御する循環動態について追求した。?

 人工心臓は世界中の施設で開発が進められており、大きくは補助人工心臓と完全人工心臓に分類され、更にエネルギー源も含めて完全埋め込み型であるかどうかと言う視点からも分類される。ここでは、加齢現象が促進されているという報告が行われていることから、外付けの両心バイパス型人工心臓を選択した。

 生体は非線形ダイナミクスを持つ制御システムを駆使してカオス的な安定性を保持しているわけだが、人工臓器はある意味では単純、ともいえる概念の具現化とも考えられる。人工臓器の中でも人工心臓のアイデアは比較的早期に着手されたものの一つであるが、これは心臓、と言う臓器の機能の極端な単純化によって実現したものといっていい。すなわちポンプ機能という単一の機能への集中である。現在までに臨床に供されている人工心臓は、生体の制御システムからはある意味では全く独立であり、かつ内分泌機能など近年発見された新しい機構は無視したままである。このような単純化された人工心臓によって生体ではどのようなことが起こっているのかを検討することは、今後の人工臓器の発展を考える意味でも非常に興味深い。

 

 正常な循環と人工心臓循環を対比するために両心バイパス慢性動物実験モデルを製作した。正常な循環を検討するときは、ヘパリン化して人工心臓の駆動を中止し、人工心臓循環を計測する時点では心臓は電気的に心室細動とし、人工心臓の循環のみで全身の循環を維持する(10-12)。この実験により、同一個体における覚醒状態での自然な循環と人工心臓循環の比較が具現化することができる。これはカオス解析のような非線形解析においては非常に重要な計測の条件である。

 人工心臓による循環維持では、自然心臓による血行動態時系列曲線アトラクターと比較して、一見してアトラクターのもつ力学系の単純化が示唆されており、リアプノフ指数から計算されるKSエントロピーやフラクタル次元の計算の上でも非線形力学系の変化は明らかであった。人工心臓の駆動条件を固定しているので、自発的にに心拍リズムや血管抵抗がゆらいでいることが周知である自然心臓と比べ力学系が単純化したものとも考えられるが、実は末梢血管抵抗だけを観察してみると、逆に正常な心臓よりゆらぎの成分が大きくなっているのも観察され、生体がゆらぎを、ある意味で欲しがっているのではないかという仮説も検討され、非常に興味深いものがある。

 更に長期間での心臓血管制御系のアダプテーションの問題も考えられ、これらの病態生理学的、臨床医学的意義を追求していくには、今後、更に洗練された数学的な方法論による検討を要するものと考えられた。 

自律神経活動

 一時は共産圏等を中心に各国の威信をかけて繰り広げられていた人工心臓の長期生存オリンピックは、最近でこそあまり顧みられなくなったが、人工心臓の長期生存実験がなぜ必要かという原点に立ち帰ってみると、結局、人工心臓の評価は、長期生存実験によってしか可能でなかったことによるということがわかる。2つの人工心臓を比較する時に、より長期生存をもたらした人工心臓の方が優れているはずだという評価基準である。これに対して更に洗練された方法論を構築するべく、種々の人工心臓が生体に与える影響を種々の方法論で明らかにし、理想的な人工心臓の設計に役立てようという試みが行われている。

 その代表的なものが、人工心臓循環における生体制御系、特に自律神経機能の解析である。人工心臓動物における自律神経活動電位の計測については我々は1987年頃から様々なレポートで報告してきたが、最近では国立循環器病センター、九州大学等でも計測が行われるようになり、昨年は東京大学からも制御について、我々の制御コンセプトと全く同様の結果が報告され、注目されている。この神経活動の評価を行うことにより、ゆらぎのない人工心臓駆動におけるカオス性の成因を更に追求することが可能になるのではないかという可能性が期待される。

 同一の対象において結果を比較するために、人工心臓は両心バイパス方式を採り人工心臓循環では心電図は心室細動とした。経後腹膜的に左腎動脈にアプローチし、腎交感神経にステンレススチール双極電極を接触させて活動電位を記録している。人工心臓循環では交感神経のバースト発射が、自然心臓ではなく人工心臓に同期しているのが観察される。これを非線形数学路論の方法論を駆使してカオス性について検討するべく種々の方法論が試みられた。

 カオス的ダイナミクスの特徴の一つに鋭敏な初期値依存性があり、位相空間において隣り合っていた軌道は速やかに分離する。この特徴を数学的に表現する方法論の一つにリアプノフ指数解析がある。ここではWolfらの方法論によって最大リアプノフ指数を解析したところ、最終的に正に収束するのが確認され、決定論的カオスに特徴的な初期値依存性の存在を示唆されていた。従って、血管運動などを規定すると思われる自律神経においてもカオス的なダイナミクスの存在が示されていることがわかる。

 では交感神経活動のカオス的ダイナミクスは、血管運動を介して人工心臓の循環のカオス性を規定しているのであろうか

 この点を明らかにするためには、カオスに代表されるような非線形ダイナミクスにおける情報の流れを明らかにする必要がある。線形システム解析においてはスペクトル解析等の方法論を駆使して、伝達関数や関連度関数から周波数成分の原因を追及するのが一般的ではあるが、これらの方法論はカオスに代表されるような非線形ダイナミクスの解析には、もちろん適当ではない。ここではかかる面を鑑み、確率論で提唱される相互情報量の概念を用いる。具体的には神経活動と血管抵抗を一対の系(S,Q)を定義して「sの測定値がわかっているときに、qについてどれぐらいの情報量(bits)が平均して予測されるか」というように相互情報量が定義された。計算アルゴリズムはfraserらの方法に従い、(s,q)平面にデータをプロットして短冊状に分割して計算した。相互情報量が大きいほど一対の時系列の片方の情報からもう一方の情報量が多く予測されることになる。

 相互情報量解析の結果より、人工心臓循環における交感神経と血管抵抗のカップリングは、駆動条件によっては自然心臓のそれよりも強力になっていることもあり、かかる点から交感神経も持つ非線形ダイナミクスは、血管系の制御を介して人工心臓循環のカオス性に強力な影響を与えていることが明らかとなった。極めて密接に結びついていることが当たり前という観点も成り立つ循環動態と交感神経活動のカップリングにおいて、人工心臓循環の方が、神経系と自律神経がより強力に結びつくこともあり得るという結果は極めて興味深いものであり、今後更なる検討を要する。

 相互情報量解析結果を、心臓と血管と神経という三つのパラメータの視点より考察すると、本来は神経系は心臓も血管も両方とも制御するものであるが、心臓を制御するのは交感神経、副交感神経のような自律神経系だけではない。神経性因子・液性因子の他にも前負荷・後負荷の力学的な影響も受けることは広く知られており、様々な制御系が関与している。従って自然心臓循環ではその循環動態は神経だけではなく、他の多くの因子が関与していることになる。これに対して人工心臓循環では種々の制御系は少なくとも人工心臓の駆動には全く影響を与えない。制御系が関与するのは血管系のみであり、血管抵抗やコンプライアンスの制御を介して人工循環に影響を与えることになる。

 従って人工心臓循環において神経系と循環動態のカップリングが強くなる場合があるのは、他の制御系が心拍変動を介して循環動態に影響を与えるという因子が除去されるためかもしれないと言う仮説が成り立つものと考えられた。この点は更なる追求が必要であり、今後液性因子の計測などを含めた更なる実験の蓄積が必要と思われる。

 少なくとも人工心臓循環でも循環動態を支配すると思われる末梢血管、肺血管等の血管系の経時的変化、またそれを支配する神経系ともにカオス的ダイナミクスの存在は明らかであり、更にこの2つの因子の間の非線形情報の流れも明らかに示唆されたものと考えられる。

 これは人工心臓を用いたオープンループ解析によって初めて明らかになった事実と考えられた。

 人工心臓循環においてもカオス性は維持されており、それは中枢のもたらす神経活動の非線形情報によって規定されていることが明らかとなったものと考えられる。

 このカオス的ダイナミクスは圧受容体を介した反射経路により中枢にまた影響を与え、心拍変動を規定することは自明であり、血管運動が循環動態の持つカオス的ダイナミクス全体を支配しているという視点も成り立つ。この血管運動は中枢神経系に支配されていることは、相互情報量解析による非線形情報の流れを解析した結果より明らかである。

 従って、心臓血管系のカオス的ダイナミクスは、中枢神経系の制御する血管運動に起因する可能性があるものと考えられる。

 しかしながら本研究の持つ方法論の限界もある。すなわち、本来クローズドループである心臓血管制御系をオープンループ化することはそれだけで生体に重大な影響を与え、結果は修飾を受ける可能性がある実験である。例えば、我々も以前報告したが、ゆらぎのない人工心臓を負荷することによって、制御系のゆらぎ成分が影響され、例えば交感神経系のゆらぎ成分は増大することもある。これらの結果は当然本研究の結果に重大な影響を与える。また事象のそもそもの原因を探る問題は、どの分野でも困難であるが、卵が先かニワトリが先かというような堂々めぐりに陥ってしまう場合もある。本研究では心臓を除去して成因を追求して中枢神経系にたどり着いたが、逆に血管系の因子を除去する立場もあり得る。これらの観点からも本研究の成果は明らかに限定された状況によるものではある。従って、本研究の成果は、心臓血管系のカオス的ダイナミクスは、交感神経系を介した血管運動によっても説明できうる動特性である。ということは最低限、証明できたものと考えられた。

 

加齢現象と人工心臓制御

 本研究では加齢促進モデルとして人工心臓慢性実験動物を選択している。そのために両心バイパス型の人工心臓装着動物を作成し、慢性動物実験を行った。人工臓器における循環動態の病態生理学的な異常としては、動脈圧の上昇、中心静脈圧の上昇、甲状腺ホルモンの異常など多くの現象が報告されている。これらの病態生理学的な異常の原因として、まず心拍出量が足りないという説や、心臓の切除によるレセプターの欠如、また人工心臓による解剖学的な心房や大血管の圧迫等、多くの可能性が示されてきた。そこでこれを克服するために、種々の自動制御システムの提案や、心房での電気刺激、また種々の薬物投与など多くの試みが行われてきた。しかしながらこれらの病態生理学的な変化を完全に克服するまでには至らなかった。

 本研究ではこれらの病態生理学的な変化を、加齢という現象の一種の促進反応ではないかという仮説を考案した。そしてそれらの変化の成因を追求し、効果的な対応策を検討するために、従来行われてきたようなトータルシステムを微分的に分解してゆくようないわゆる要素還元論的な手法ではなく、システム全体に注目した全体論的な解析法について検討した。そこで世界記録を更新した完全置換型人工心臓慢性実験山羊の血行動態時系列曲線の記録を行ったが、安定した計測を具現化するために、カニューラ内圧による血行動態記録を行っているために、圧波形にはいわゆるWater hammer現象により高いピーク圧が記録され、連続時系列曲線によるカオス解析には非常に困難に直面した。ストレンジアトラクターを再構築しようにも、主成分分析を行うと、非線形ダイナミクスに最も大きな影響を与えているのは人工弁のWater hammerという結論になってしまい、病態生理学的な異常の成因を追求するには不適当であるという結論が得られた。またもちろん人工心臓動物であるからには、心電図の記録は論外であることは自明である。そこで血行動態の大本になっているという観点からも、人工心臓の拍出波形を電磁流量計を用いて計測した。得られた時系列曲線をTakensの理論に基づき4次元の位相空間に埋込みを行い、3次元の位相空間へ投影し、ストレンジアトラクターの再構築を行った。

 従来は人工心臓には複雑な制御はいらないのではないかという仮説が欧米等を中心に提唱されてきており、例えば最も単純化された制御と言うべきかもしれないいわゆるスターリンの法則に則った自動制御システムなどが、その単純な制御アルゴリズム故に広く用いられる趨勢にある。しかしながらこのような単純な制御では、例えば中心静脈圧の上昇などの病態生理学的な変化には対応できないと言う報告も行われている。すなわち、中心静脈圧の上昇に合わせて心拍出量を増加させても、一時的に中心静脈圧が下がっても、更にまたしばらくするとじわじわと圧が上昇するという悪循環に陥り、やがては心拍出量が通常の1.5倍から2倍にも増加していわゆる「過剰心拍出量症候群」に陥るという報告である。これらに報告に呼応して、前負荷ではなく後負荷、すなわち大動脈圧の方に注目したのは、ペンシルバニア大学の人工心臓開発チームである。彼らは大動脈圧が一定になるような駆動制御方式を考案し、世界で初めて一年を越える人工心臓動物の生存実験に成功した。しかしながらこの方式でも、中心静脈圧の上昇のような現象には対応できないと言う報告もなされてはいるが、簡便なアルゴリズムで実現可能な実用的な自動制御システムである。これらに対して、人工心臓の制御を埋め込まれた動物の循環制御系にゆだねようという考えから、東京大学を中心に末梢血管抵抗に注目した「1/R制御」という概念も提案され、斯界の注目をあびている。これは末梢血管抵抗値の逆数を利用することにより、人工心臓の制御用入力とする方法論である。血管抵抗値は大動脈圧、中心静脈圧の差分から末梢循環における潅流圧を求め、電磁流量計で計測された人工心臓拍出量から、オームの法則で抵抗値を算出する。この制御の方法論で山羊の長期生存実験を行っているうちに、末梢血管抵抗で人工心臓を制御する方法論を学び、やがて自分で人工心臓を制御するようになるという、ある意味での一種のバイオフィードバックを形成する大変興味深い制御理論である。この制御方式の採用によって、東京大学では人工心臓長期生存の世界記録を亢進し、また中心静脈圧の上昇などの病態生理学的な変化も観察されなかったと報告している。

 何故であろうか?

 従来の駆動制御理論による拍出流量時系列曲線のアトラクターを観察すると、この制御では左右のバランス制御を基本に右房圧左房圧をバランスし、肺鬱血を予防する制御が行われており、さらに人工心臓の過剰心拍出量を抑制するための制御が行われているが、これと比較して1/R制御による人工心臓拍出流量時系列曲線のアトラクターを観察すると一見して幅広い形に変化しており、人工心臓拍出流量曲線にゆらぎの成分が加味されていることが推測される。このゆらぎ成分について詳細に検討するために、スペクトル解析、フラクタル次元解析、相関次元解析、リアプノフ指数解析、ボックスカウンティングによるリターンマップ解析、KSエントロピー計測など多くの非線形力学などの方法論を駆使して検討を加えた。

 例えば、スペクトル解析の方法論による解析結果によって、アトラクターの幅の広さは、種々の周波数のゆらぎ成分の複合によって発生していることが示唆されていた。また興味深い結果もいろいろと得られている。例えば1/Rの制御アルゴリズムは約六秒間の血行動態時系列曲線の移動平均を元に目標心拍出量を計算し、目標拍動数を設定している。これは、呼吸性の周期性変動よりもおそく、Mayer wave変動成分よりも早い周期となる。1/Rの拍出量スペクトルには、この自然界には存在しない周期性変動が発生しているという興味深い観察結果が得られている。これは、この観察結果がMayer wave変動成分や呼吸性変動成分の発生機序にも敷衍できうる可能性を保持している点で、生体におけるゆらぎ成分の存在を説明する点で非常に意義深い観察結果であるものと思われる。すなわち生体の周期性ゆらぎ成分もまた、この1/R制御アルゴリズムのような制御機構の存在が前提となって発生している可能性があるという仮説の提示である。

 これに対して我々はさらにこの移動平均時間を変化させ、より鋭敏な一拍毎の1/R制御アルゴリズムも構築し、実験してみたところ、この制御では呼吸性の血行動態時系列曲線のゆらぎが極端なまでに増幅され、制御が発散するという現象も観察された。これは、1/fゆらぎやいくつかの周期性変動成分に分散していたゆらぎ成分が、一拍毎の1/R制御によって呼吸性変動成分が立ち上がることにより本来カオス的ダイナミクスを保持して安定していた循環動態がリミットサイクル化して破綻する現象とも考えられ、循環動態におけるカオス的ダイナミクスの持つ機能的な意義を考察する上でも興味深い結果と考えられた。この現象は中枢神経系における代表的な高次神経活動である認識や記憶における脳神経活動に発見されているカオス的ダイナミクスの機能的な意義と考え併せることにより、より興味深い結果に敷衍される可能性も考えられ、生体における普遍的な情報処理機構のアルゴリズムを考える上でも面白い。

 スペクトル解析は周期性変動成分の定量的解析には非常に有用な方法論ではあるが、本研究では更に全体論的な非線形動特性を追求するべくストレンジアトラクターを再構築して解析に用いている。アトラクターの定量的な評価のために種々の方法論を用いて追求した。例えばアトラクターの次元解析において頻用されている相関次元解析では、計測時間に限界があるのであまり極端に埋め込み次元をあげられないと言う限界はあるものの、1/R制御では単なる左右バランスをとった制御と比較すると、拍出量アトラクターの有意の相関次元の増加が観察されている。また多くの力学系の関与が自明である循環制御系の解析において相関次元をいくつまで上げても限界があることは明らかなので、逆に2次元平面にリターンマップを作成し、ボックスカウンティングによってフラクタル次元を求めたところ、やはり同様に1/R制御におけるフラクタル次元の増加が観察されていた。

 更にストレンジアトラクターでは、位相空間内で隣り合った軌道は時間軸に沿って離れていくことが知られているが、この軌道の分離はリアプノフ指数などで定量化され、ここからKSエントロピーやリアプノフ次元も計算される。これらの情報量の解析の結果はやはり1/R制御における循環動態の持つエントロピーの増加を示している。フラクタル科学における次元の計算法にはリアプノフ次元、相関次元、情報量次元などの多くのアルゴリズムが知られているが、数学的に理想的な状態においては、どの計算法を用いても、求められた次元は基本的には一致することが知られている。ここで例えば情報量次元などは情報量エントロピーの項を持つ。従って、1/R制御による制御アルゴリズムへの生体情報の入力が基本的に非線形力学系におけるダイナミクスに変化を与え、情報量エントロピーの増加をもたらしている可能性が考えられるものと思われた。

 従って本研究で明らかになったことの一つは、人工心臓置換動物における加齢現象に相当する病態生理学的な変化、例えば中心静脈圧の上昇等をもたらさない人工心臓制御アルゴリズム、例えば1/R制御、においては、フラクタル次元やKSエントロピー等の増加にような非線形ダイナミクスの変化が観察されている。ということである。人工心臓置換動物においては自然心臓の循環を維持した動物と比較してカオス的なダイナミクスを支配する非線形動特性の単純化が明らかなことは東北大学における両心バイパス実験でも明らかになっており、ここで観察された1/R制御における非線形ダイナミクスの変化は、人工心臓循環を自然心臓循環の非線形ダイナミクスに近づけているという可能性も考えられる。

 もちろん様々な実験条件の拘束による問題点があることは明らかで、軽々しく結論に結びつけることは危険ではあることは十分承知の上で、あえてこの結果を単純に素直に観察すれば、下記の結論が得られることも考えられる。すなわち、人工心臓症候群でシミュレートされるような病態生理学的な変化を加齢現象として考えれば、これは人工心臓による循環性制御の持つ非線形力学系の単純化に起因している。従って、例えば、末梢血管抵抗のような生体情報を人工心臓制御アルゴリズムに入力することで、加齢に相当するような病態生理学的な変化が抑えられる可能性があるということである。

 これを更に敷衍すれば、生体における加齢現象全体を制御系の非線形ダイナミクスの単純化、と言う風に解釈できる可能性を保持しており、これは生体の制御システムの劣化がすなわち加齢と言う現象に結びつくという視点が提示される。従って劣化した制御系をある種の人工臓器で制御してやれば、ある程度加齢現象を制御できる可能性をもてる、と言う概念からも非常に興味深い結果と推察された。

 機械における故障の発生率は、加齢現象における疾患の発生と相関があることが広く知られており、注目されている。

 ここで重要なのは、初期故障と、末期の磨耗故障の発生である。

 これらは、それぞれ新生児の死亡率と、成人病の死亡率に対応すると報告されてきた。

 この興味深い現象は「人間は機械である」という説の根拠の一つとして広く理解されている。

 この現象と本研究の結果を合わせて考えると非常に興味深いものがある。

 例えば下記のような仮説が提出される。すなわち、生体の制御系という機械部品に磨耗故障が発生すると、心臓血管系における循環動態の非線形力学系の変化を介して、加齢現象が発現するということである。

 生体における制御系の故障は非線形ダイナミクスの変化をもたらし、力学系の単純化をもたらす。

 例えば非線形力学系における決定論的カオスがリミットサイクルのダイナミクスに変化し、カタストロフに至るような課程である。

 ここではカオス理論とカタストロフの関与を考えていくことも、加齢現象の成因を考察していく上で、興味深い可能性の一つとして残っていくことも考えられるものと思われた。


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